今の作法

寿司屋での作法として、以前は「通」じゃないと受け入れられない様な敷居の高さがあるイメージだったが、実は逆だった。

注文するネタの順番だが、昔はアナゴを最初に頼むのが通の様に言われていた様な気がする。

実際には味の濃いネタを食べると舌が慣れてしまうため、薄味のネタから食べるのがセオリーだが、基本的に自由に好きなネタを注文して問題ないそうだ。

餌付けが元で

猫の餌付けが元で、殺人未遂事件が起きてしまった。

容疑者がベランダにきたネコを追い払ったところ、普段からネコに餌付けをしていた男性が容疑者宅を訪問し、追い払った事に文句を言った。そこで激情した容疑者が刺した、との事らしい。

もちろん、殺傷事件を起こす事は駄目だが、餌付けを勝手にやる事も問題だろう。

ネコの餌付けによるトラブルは日常的に発生している事と思う。

司令部の設立

政府が昨年12月に策定した「防衛計画の大綱」で新設方針を打ち出した「水陸機動団」の全容が2日、明らかになった様だ。機動団は離島防衛の専門部隊「西部方面普通科連隊」(約700人)を置く長崎県佐世保市などに配置し、3連隊を整備。新設する「陸上総隊」の直属部隊とし、計2千~3千人規模の大部隊とするという。

陸自は米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイも導入する予定で、同機で前線に部隊を投入することも可能になるとのことだ。

時代と共に

固定電話サービスもどんどん無くなっていく。

コレクトコールが来年終了するらしい。

100番通話は、オペレーター経由でつなぎ、通話終了後に通話料金と時間が通知されるサービス。102番は、予め登録された機関が利用できる非常・緊急扱いの番号。106番は通話先が通話料金を支払う「コレクトコール」で、オペレーター経由にて、相手が料金の支払いを承諾した場合につながる。108番は同じコレクトコールだが、オペレーターではなく自動応答装置が受け付ける自動コレクトコール。

リンゴスターが声優?

リンゴスターが人気アニメに曲提供をするに留まらず、声優としても出演したという。

リンゴが番組テーマ・ソングを手掛けたのは、人気アニメーションシリーズの新作『パワーパフ ガールズ:ダンスパンツにご用心!』だ。シリーズ生誕15周年記念として制作された本作に、リンゴは「I Wish I Was A Powerpuff Girl」という楽曲を書き下ろしている。

、“フィナボッチ役”としてアニメ本編にゲスト出演を果たしている。一風変わった数学者のキャラクター、という事だ。

16年ぶり

秋山準が、金丸とのタッグでアジアタッグ王者になった。

秋山がアジアタッグを戴冠したのは1998年1月に62代王座(パートナーは大森隆男)から陥落して以来、実に16年ぶり。秋山が「若かりしころに巻いてたベルト。下の世代でも外の人間でもいいし。声を上げないと俺は何も(指名)しないから」と言えば、初戴冠となった金丸も「歴史のあるベルト。秋山さんと結果を残せてうれしい」と喜びに浸った。

相手は鈴木・青木組。バーニングVS元バーニングの対決だった。

名称公募

東京スカイツリーの名称は、公募から選抜された中から決定した。

名前の候補として挙がっていたのは、

東京EDOタワー

ライジングイーストタワー ⇒これは言いづらそう。

ライジングタワー ⇒こっちはスッキリしていて良さそう。

等だった。

商標等の問題があった為、真に上位の名称は選考対象に残せなかったのだそうだ。

東京スカイタワー というのも上位に入っている。

スカイツリーでもう聞きなれてるからアレだけど、スカイタワーも良い耳障りだ。

炎上

1967年に、アポロ1号が訓練中に事故で炎上。宇宙飛行士3人が死亡。

それが1月27日の事だった。

AS-204はサターンIB型ロケットで地球周回軌道に打ちあげられ、アポロ司令船および機械船の初の有人試験飛行となるはずであった。ノース・アメリカン社が製造した司令・機械船CSM-012は、月面への着陸方法で月周回ランデブー方式が採用される前に設計された、いわゆる「ブロック1」と呼ばれる初期型バージョンであるため、月着陸船とのドッキングに必要とされる装置は搭載していなかった。ブロック1の2号機は、1966年の終わりに製造がキャンセルされた。

 

ボーイスカウト

1月24日はボーイスカウトの創立記念日だそうだ。

1903年、陸軍中将B-Pが赴任先のアフリカからイギリスに凱旋帰国したとき、彼が陸軍大佐だった1899年に書いた『Aids to Scouting for N.-C.Os and Men』という軍人向けの斥候の手引き書が、多くの学校で、教育教材として使用され、少年たちにも評判が良いことを知った。しかしその本は元々軍人に向けて書いたものなので、少年を対象読者とする本ならば、さらに大きな効果を上げられると思い、青少年教育に関する研究を始めた。1906年には、彼の考えをまとめた草案を、陸軍、海軍、教会、少年団 (Boys’ Brigade (BB)) などに送り意見を求めたり、「シートン動物記」の著者であり、少年団ウッドクラフト・インディアンズ (Woodcraft Indians) の創始者であるアーネスト・トンプソン・シートンとも積極的に意見交換している。

打ち上げ

1984年の1月23日、宇宙開発事業団が日本初の実用放送衛星「ゆり2号a」を打ち上げている。

日本の宇宙開発は東京大学生産技術研究所の糸川研究班(後の文部省宇宙科学研究所)によって始められ、固体燃料のカッパロケットによる大気観測で大きな成果を収めていた。一方で、科学目的以外の人工衛星及びロケットの開発を担うことを目的とし、1962年(昭和37年)4月に科学技術庁内に研究調整局航空宇宙課を、1963年(昭和38年)4月に航空宇宙課内に宇宙開発室を、1964年(昭和39年)7月にこれを発展的解消して科学技術庁宇宙開発推進本部を設置した。発足時の人数は23名で、五代富文などごく一部の例外をのぞけばロケット開発を専門とする技術者はいなかった。[