富士急行

1926年9月18日に、富士山麓電気鉄道(ふじさんろくでんきてつどう)として設立され、1960年5月30日に、現在の富士急行に改称した。

鉄道・自動車(バス)などの運輸事業を創始とする企業であるが、現在、売り上げに占める鉄道事業の割合は5%程度で、自動車事業を合わせても2割程度に過ぎない。沿線の豊富な観光資源を背景にした遊園地、ゴルフ場等の観光事業の割合が約7割を占めている。

2007年3月18日に、バス事業でPASMOを導入した。

大行天皇

大行は「大いなる行い」を意味し、ここでは死去した天皇への顕彰を表す語として用いられている。また、「逝きて帰らぬ天皇」の意味があるともいわれている。

明治時代に一世一元の詔により定められ、昭和時代に元号法によって法定された一世一元の制に基づけば、天皇在位中の元号をもって追号とされることが通例である。ただ、追号が贈られるのは大喪の礼に先立って行われる追号奉告の儀を執り行ってからである。そのため、『大行天皇』の称号は、追号奉告の儀以前の段階に於いて用いられる。使用例としては、崩御した前天皇の名を官報に掲載する場合や、新天皇の御誄(おんるい、弔辞)などがある。

各宗教団体の機関紙などでは「大行天皇の追悼法要営まれる」などと掲載されている。例えば、仏教教団において位牌をたてる場合などには、追号が贈られるまでは白木や紙で仮の位牌を立てたりして法要を営む場合もある。

ベーリング海

ベーリング海(ベーリングかい、Bering Sea)は、カムチャツカ半島とチュコト半島、スワード半島、アラスカ本土、アラスカ半島、アリューシャン列島に囲まれた太平洋最北部の海。

セントローレンス島、ヌニヴァク島、プリビロフ諸島などの島があり、ベーリング海峡で北極海に繋がる。面積は231万km2。都市は、アメリカ側のアラスカ州にはノームなどが、ロシア側のチュクチ自治管区にはアナディリがある。ベーリング海内の湾には、ロシア側のアナディリ湾、アメリカ側のブリストル湾、ノートン湾などがある。

サケやカニなどの好漁場として知られているが、波は荒々しく、日本近海と同じく難破・遭難などが多い、危険な海である。

ヨーロッパ人として初めてユーラシア大陸とアメリカ大陸が海により分断されていることを発見した、ヴィトゥス・ベーリングにちなんで名づけられた。

フェリックス・メンデルスゾーン

哲学者モーゼスを祖父、作曲家ファニーを姉として生まれたメンデルスゾーンは、神童として幼少期から優れた音楽の才能を示したことで知られる。彼はバッハの音楽の復興、ライプツィヒ音楽院の設立など、19世紀の音楽界に極めて大きな影響を与えた。また、作曲家としてもヴァイオリン協奏曲や「夏の夜の夢」、「フィンガルの洞窟」、無言歌集など今日でも広く知られる数々の楽曲を生み出している。

ユダヤ人の家系であったメンデルスゾーン家は言われなき迫害を受けることが多く、それはキリスト教への改宗後もほとんど変わらなかった。そのような状況にも関わらずフェリックスの業績・影響力は極めて強く、終生ドイツ音楽界の重鎮として君臨し続けた。

スラウェシ島

面積は17万4600平方キロメートルで、世界第11位、インドネシアでは第4位の大きさを誇る。西にカリマンタン島、東にマルク(モルッカ)諸島、北にセレベス海を挟んでミンダナオ島、そして南にフロレス海を挟んで小スンダ列島(ヌサ・トゥンガラ諸島)が位置する。

環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯の合流点にあるため地形は複雑でアルファベットのKの字の形状をしている。山がちな地形であり、最高所として標高3,455mのランテコムボラ山(英語版)を有し、トウティ湖(英語版)等の湖もある。そのため、各地域は交流が少なく独自性が強くなり、長らく島としての一体性が弱かった。

島の東側の3つの湾のうち、一番北のトミニ湾に浮かぶウナウナ島のコロ山は1983年に大噴火を起こしたが、全島避難により間一髪で人的被害を免れた。

ジョン・コーザイン

1947年、コーザインはイリノイ州中部で生まれ、同州テーラーヴィル近郊のの小規模な自営農場で成長した。高校を卒業後はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校へと進学し、学部課程を修了するとファイ・デルタ・シータの会員となり、1969年に大学を卒業した。コーザインは大学在学中にアメリカ海兵隊に入隊し、1975年まで予備役を務め、最終的に軍曹まで昇格した。

コーザインはイリノイ大学を卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で経済学の博士号を取得する計画でいたが、1970年にベトナム戦争の現役軍務に召集されたため、コーザインはその計画を諦めた。その後1971年、予備役に戻ったコーザインはシカゴ大学経営学大学院へと進み、1973年に経営学修士を取得した。

逆コース

第二次世界大戦で敗北した日本は、ポツダム宣言と降伏文書に基づき連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下に入った。当初、GHQは「日本の民主化・非軍事化」を進めていたが、1947年に日本共産党主導の二・一ゼネストに対し、GHQが中止命令を出したのをきっかけに、日本を共産主義の防波堤にしたいアメリカ政府の思惑でこの対日占領政策は転換された。GHQのポツダム命令(「公職追放令」「団体等規正令」「占領目的阻害行為処罰令」など)は前身を含めて占領初期には非軍事化・民主化政策の推進という役割を果たしたが、占領後期には社会主義運動の取締りの役割を果たして行くようになった。

ショパン7歳

7歳のショパンはト短調と変ロ長調の2つのポロネーズを作曲した。前者は老イジドール・ヨーゼフ・チブスルキ(Izydor Józef Cybulski; 作曲家、彫刻師、オルガン学校の校長で、ポーランドで数少ない音楽出版業を営んでいた)の印刷工房で刷られ、出版された。後者は父ニコラが清書した原稿の状態で見つかっている。これらの小品はワルシャワの先導的作曲家たちの人気の「小ポロネーズ」のみならず、ミヒャウ・オジンスキの有名な「大ポロネーズ」にも匹敵する作品と言われた。この後の旋律、和声とピアノ奏法の創意工夫は、知られている次の「大ポロネーズ」変イ短調に明らかである。

欧州共同体

欧州連合条約は、欧州連合の創設について単一欧州議定書と欧州の統合に関する宣言を土台に起草されている。欧州連合条約は1992年2月7日に調印され、1993年11月1日に発効した。欧州連合とは従来の欧州諸共同体に替わるものであり、また欧州諸共同体は政策分野の欧州共同体として3つの柱構造に組み入れられた。このとき欧州経済共同体は欧州共同体に改称され、欧州連合としての初代欧州委員会委員長には、欧州経済共同体の委員長であったジャック・ドロールが、1994年にジャック・サンテールに交替するまで務めた。

日本水平社

「徹底的糾弾」方針をとっていた結成当初の全国水平社では、1923年(大正12年)11月結成の全国水平社青年同盟(いわゆる全水内「ボル派」)が次第に内部で台頭し、南梅吉(全水初代委員長)ら従来の幹部を辞任に追い込んで全水本部の主導権を掌握した。そして1926年(大正15年)の全水第5回大会では「部落差別は政治・経済・社会的側面に基づく」との認識に基づき、軍隊内差別や行政による差別を糾弾し労働者・農民の運動と結合する新方針が決議された。

以上のような「ボル派」の指導部掌握は全水内の右派や「アナ派」との対立を激化させ、彼らの離反を招く結果となった。右派の代表的存在であった南梅吉は第5回大会の新方針に反対して全水を脱退、1927年1月8日には京都で日本水平社を結成、組織を割った。