エドワード6世は9歳で

ヘンリー8世の男児で唯一存命していたエドワードは、父の死に伴い9歳で即位した。ヘンリー8世は幼い息子を一握りの権臣が操ることを警戒し、顧問団に集団で補佐させるよう遺言を書いていたが、エドワードの母方の伯父であるエドワード・シーモアが握りつぶした。エドワード・シーモアはエドワード6世の即位直前にサマセット公位を創設し、自ら護国卿(摂政)となってイングランドの事実上の支配者となった。

ヘンリー8世は生前、エドワードをスコットランド女王メアリー・ステュアートと結婚させ、スコットランドをイングランド管理下に置く構想を持っていた。エドワード・シーモアはこれを引き継ぎ、スコットランドに攻め込んでメアリーを連れ去ろうとした。しかし1548年、メアリーの母でスコットランドの摂政皇太后であったメアリー・オブ・ギーズが、自らの母国フランスの王太子フランソワ(フランソワ2世)とメアリーを結婚させたため、この計画は実現しなかった。